駝鳥の戯言…

思った事、あった事をそのまま書く…うそは書かない…

つれづれ

鋼の錬金術師がケーブルで再放送している。たかだかアニメ…だが、受け取る側の考え方次第では、あながち子供のものでもないと思う。と、言うか結構暗くなったりするのは、深層心理に訴えるものがあるのか、目の前の問題からの回避の衝動なのか。自分は正しいのか、間違っているのか。そもそも正しいとか間違っているとかを考える時点でおかしいのか。基準は何か。他人からの投射でのみ自分の存在を認識している以上、自我とはそもそも何か。昔から、自分自身と、それを客観的に見ている自分と…と言う、ちょっと二重人格っぽいことをやっているせいか、少々心理的に発生している矛盾を解決できないでいる。自分が今持っている価値観や、判断基準はいったいどこから来たものなのか。それを持ち続けるしかないことが、苦痛なのか。いつの間にか、ガンダムSEED Destiny に変わっている。これも、話を複雑にし過ぎで(伏線を張りすぎ、相関図をわざわざ複雑にしていて)見ているとちょっと苦痛になる。矛盾した課題を人間ドラマとしてドロドロと見せているところが、苦痛に感じているところなのかもしれない。Zもそれなりに重目の話だったが、シンプルではあったので見ていて苦痛は感じなかった。が、今のガンダムは、ちょっとやり過ぎのような気がする。吉田栄作の「もう誰も愛さない」を彷彿とさせると感じているのは、たぶん私だけだろう。(まあ、あれはシンプルと言えばシンプルだったが、話が毎週どんでん返しで、一回見ないと話が分からなくなったという意味では…)