駝鳥の戯言…

思った事、あった事をそのまま書く…うそは書かない…

つれづれ

唐突だけど、最近よく思う。幸せって何だろうって。人それぞれによって求めるものも環境も色々な要素が様々に組み合わさっているから、簡単に”これ”って言える人は少ないと思う。勿論、短期的物欲的な事や、人間の三大欲と言った観点であれば、それなりに幸せを安売りする(買いかな、この場合)することも出来るだろう。今の自分には、何が幸せなのか、何を求めて今まで生きてきたのか、これから何を求めて行けばよいのか、もう求めてはいけないのか。。。云々。。。とかく、精神的に不安定だから余計に…と言った面もあると思うが、良く判らなくなっている今日この頃。
6年程前に一度感じた事があった。他人から見たら大したことではないけれど、私にとっては結構重大な事だった

…6年前に、ポルシェを買った。金持ちから見れば何の事はないし、クルマに興味がない人間から見れば、ただの高いクルマだろう。でも、私は違った。私の価値観の中心は、クルマと言っても過言ではないし、ある意味自分の成功の指標、目標達成感、自己満足度…e.t.c. まぁ色々な感覚的な指標としてクルマが位置づけられている。
私の世代は、スーパーカーブームど真ん中だと思う。まぁご多分に漏れず、死ぬ程クルマを追っかけた。晴海の展示場、環八沿いの輸入販売店、雑誌、グッズ…とにかく死ぬ程クルマが好きだった。
中学生の時の家庭教師が2代目のシルビアに乗っていた。たまにドライブに連れて行ってもらった。助手席からシフトチェンジなんかもやらせてもらった。
父親はクルマの免許を持っていなかったけど、会社の若い奴に運転をさせて家族旅行をしていた。伊豆の各所に結構遊びに行った記憶がある。その時は、必ず助手席に乗っていた。家族が疲れて寝てしまっていても、一人で起きていた。とにかくクルマに乗るのが好きだった。
父親の会社関連の人が、出たばかりのソアラを買って家に遊びに来た時、鍵を借りて駐車場に止めてあるクルマの中で飽きるまで過ごした。
大学に入って親にクルマを買ってもらった。当時付き合っていた彼女と良くドライブに行った。10年我慢に我慢を重ねて、やっと自分で運転出来るようになって、死ぬ程嬉しかった。毎日でも乗っていたかった…ガソリン代は自前だったので、そうもいかなかったけど。
親が蒸発してどん底の生活をしていたころも、たまに(極稀に)レンタカーを借りて、ドライブにも行った。どんなに貧乏していても、とにかくクルマが無い生活は考えられなかった。
社会人になって、生活が安定し始めて、自分でクルマを持てるようになって…欲しいクルマは高くて買えなくて我慢したり、ローン組んだり維持費とか大変だったけど、買ってもらった以上の満足感に浸っていた。そんなとき、あのスーパーカーブームを思い出していた。そんな時、RUFがイエローバードと言うポルシェベースのクルマを出した。しびれた…これだって。勿論、ベースのポルシェの倍以上の値段だし、そもそもベースのクルマも買える訳もなく…だけど、いつかは買ってやると何となく漠然と思っていた。

…前置き長い(笑)で、6年程前ついにポルシェを買った。勿論、RUFは相変わらず2000万超級だし、イエローバードも稀少車であり価格も言わずもがな…で、普通のノーマルのCarrera2だったけど、ポルシェはポルシェ。当時の給料からすると1千万はかなりの勝負的金額だったけど、でもちょっと背伸びして初めて買った車。今までクルマは分相応が私のモットウだったから。借金は300万まで。維持費が払えないような事はしない。。。で、頑張って貯金して…前に乗ってたランクルが4駆ブームもあり、とても高く売れたのも私にとっては追い風。

そして、念願のポルシェ。。。。

で、思った。あれっ?これで終わり?

今までがむしゃらに仕事してきて、良いクルマ乗りたくて、また仕事して。紆余曲折はあったけど、念願のポルシェを買って…で、次はどうするんだろうって?その答えが出るまで5年かかった。結局は手放す事になったけど。まぁ同じマークが付いているけど、違うクルマになってる。。。

で、私の場合は分かり易いけど、クルマに全ての価値観の基準を置いてきたから、その価値観をベースにして物事を考えると、この先どんなクルマに乗れるんだろうと思ってしまう事が、イコール私のこれからの人生の方向性や指標だったりするから笑える…他人から見れば。でも、私は至って真面目にそう思っている。
世の中、勝ち組の連中は死ぬ程金を持っている。私が夢に見るような車生活を普通にしている。勿論、そこには努力や才能があった事は認めるけど、これだけ頑張っていても、こんなもんか…と思ってしまうし、今後2000万超級のクルマを買えるようになるかというと、これからの自分の仕事の先を見ても…微妙な様な気がする。仮に今の会社の社長になったとしても、年収は3〜4千万が関の山だろう。確かにちょっと頑張れば2000万超級のクルマも買えるでしょう。でも、その1台で一杯って感じがする。まぁ国産のちっさいのくらいは同時に飼っているだろうけど、今のヒルズ族のような訳には、逆立ちしてもならない。
引退で世の中をにぎわせている中田にしても、まぁ確かに才能もあったのだろうし努力もしただろうし、私が何か言える立場でも無いが、29歳で100億の金を持っていれば、とりあえず何でもありだろう…悟りを開いた坊さんみたいに扱われているけど、別にそれだけの金があれば、ああいう余裕のある物言いもできるでしょう。。。まぁひがみ半分か(笑)

私の身の回りの人間からはこの手の話をすると「十分良いクルマ乗ってる。」と言った類の事を言われる。まぁ確かに普通のサラリーマンは1200万のクルマは飼わない?買わない。そこだけを見れば確かに自分の身の回りにいる人間から見ると、良いのかも知れないけれど、でも実はそういう人に限って、うちの倍くらいする値段の一戸建てに住んでいたりする。うちのマンションと同じ値段の家に住めば、楽勝でポルシェなんて買える。性能比で考えるととってもお買い得なクルマだし(笑)まぁその方の価値観と私の価値観が違うだけ。その人はマークXに乗っている。別にそれが悪いとは思わない。私は買わないだろうと思うだけで。でも、その方もクルマに1000万もかける人の気が知れないだろう。それだけの違い。

で、初めのテーマに戻る。幸せって何だろうって。今の自分はしあわせなんだろうかって。一体どこまで行けば判るんだろう。
今まで、ずっと突っ走って来た。突っ張っても来た。敵も一杯作ってきたし、成り上がり気味でここまでは来た。でも、なんか自己流でやるのに限界を感じてきた。きっと才能のある奴は、こんな事は感じないんだろうし、そもそも私が思っている20年くらい前にその壁に気がついて、対処しているんだろう。私はこの歳になって、その壁がある事に気がついた。まぁ凡人なので、ここまでこないとその壁が見えなかっただけだが。
別に決めつけるつもりはないけど、後10年くらいである程度私の人生も決まってしまうんだろうなと思う。これでも、まだ勝ち組に近づけるかもしれないと、限りなくゼロに近い確率でも、ゼロではないと思っている。往生際が悪い(笑)でも、後10年もしたら、そんな事は考えずにそこまでで、できあがった事を大事にするなんて思ったりするんだろうと、今のところ思っている。

その時の私は幸せなんだろうか?今思っている事がどう変わっているんだろうか?

幸せって何だろう。

偉くなる事?お金持ちになる事?結婚して家族を持つ事?家を買う事?良いクルマに乗る事?若いおねえちゃんとちゃらちゃらすること?愛人を囲える事?有名になる事?子供を持つ事?欲しいものを手に入れる事?…なんか、列挙できるアイテムが庶民的かな。この時点で、私の限界が見えているような気がする。

そもそも、幸せになりたいのかな?私は。。。。


精神的に不安定なのか、モチベーションがなくなってしまっているのか、そもそも士気が低迷してどん底にあるからアグレッシブになれないためなのか………………とにかく、今は何を考えても何も出てこない。忙しい日々を淡々とこなすだけ?そんなんで良いのか、俺は? じゃぁなんなの?おまえに何が出来るって言うの?才能も努力することも、金もないのに………色んな自分がいて、お互いにつつきあっている(笑)結局の所、なるようにしかならないんだけど。。。


まだまだ、もがいていた。無駄だったとしても。。。自分の限界を決めたくない。


もうちょっと歳かな?関係ない?それも判らない?だって、自分が何を求めているのか判らないから。


ちょっと、思考回路がぐちゃぐちゃかな。





ブログに書いたら少しは整理出来るかと思ったけど、やっぱり駄目でした。。。